【質問】外食はどれほどの頻度で行かれてますか?仕事の忙しさや身体の疲れを言い訳に外食や惣菜の頻度が増えてしまって、罪悪感を感じます。
こんにちは!れのれのです!
外食はどれほどの頻度で行かれてますか?
共働き新米夫婦です。お互い料理はできるのですが、どうしても私(妻)のほうが帰りが早く、作る頻度が高いです。
でもここ3ヶ月ほど(無事終わりましたが)挙式準備、仕事の忙しさや身体の疲れを言い訳に外食や惣菜の頻度が増えてしまって、罪悪感を感じます( ; ; )
旦那さんも遅くまで仕事頑張っているのに料理をさせる罪悪感も( ; ; ) 考えすぎでしょうか?
という質問を頂きました。
結論
行きたい時に行きます。
頻度は週1~3くらいでしょうか。
旦那も外食を求めているので、一度も罪悪感を感じたことがありません。
何に罪悪感を感じているのか
まず、私には外食やお惣菜に罪悪感を感じる理由がわかりません。
だって外食も惣菜も美味しい!!!!!
しかも自分で作らなくていい!!!!
最高!!!
むしろ
『仕事に疲れて帰ってきた2人へのご褒美に外食や惣菜』
と考える方が正しいと思います。
手料理に対する価値
手料理のいいところってなんでしょう。
愛情?
そんなもんで愛情が伝わるなら誰も不仲になりませんし、
誰も離婚してないと思います。
食費。
きっとコストだと思います。
外食や惣菜より安上がりになることでしょう。
しかし、それは作る側の労力の上で成り立っている安上がりです。
それって本当に安いのでしょうか?
食材費だけを見れば外食や惣菜より圧倒的に安いでしょう。
でも、仕事帰りの疲れた体に鞭を打って、何を作るか考え、材料がちゃんと冷蔵庫に揃っているかを考え、足りなければ買い物に向かい、立ちっぱなしで料理を作り、終わっても皿洗いという新たな家事が待ち受けています。
考えただけで気が滅入ります。
『仕事の忙しさや身体の疲れを言い訳に』
って!!!
じゃあいつ外食すんの!?
そういう時こそ必要なサービスでしょ!?
なんで罪悪感!?
私は、ここで無理矢理、手料理にこだわって、精神的にも肉体的にも余裕がなくなって相手や環境に不満を持ってしまい、苛立ったり、喧嘩になることの方がよっぽど罪悪感を感じます。
疲れているなら正直に
『旦那さんも遅くまで仕事頑張っているのに料理をさせる罪悪感も』
ってそりゃ同じく疲れてることがわかってるならさせない方がいいよ~~~!!
自分がやれない、やりたくない事は相手もやりたくないと思います。
お互い疲れているなら疲れているで、正直に報告し合えばいいと思います。
疲労の質も度合いも、労働時間に関係ありません。
あなたが疲れているなら疲れているんです。
帰宅時間が片側が早いとか関係ないと思います。
それとも、旦那さんにいつも文句言われるのでしょうか?
「また惣菜かよ」「また外食かよ」とか言われるのでしょうか。
「手料理が作れないなんて結婚相手としてどうなの?」とか言われてるの?
もしそうなら
『じゃあテメーがやれや!!!!』
でいいよ!!!
でも、そんなこと言われてもないなら本当に考え過ぎ。
話し合って!?
勝手に考えて勝手に疲れて何がしたいの!
夫婦なんだから話し合って!?
料理は必須じゃない
あとね!
お互い料理できるからって
別に料理する必要ないよ!
私だって今仕事の原稿なくて専業主婦満喫していても、外食しますし惣菜も食べます。
別に楽をしているつもりじゃなく
ただ食べたいからです。
原稿していて疲れてても自分の味が食べたい時もありますし、そういう気分なら自分の料理を頑張ります。
でも疲れてなくても外食の味が食べたい時もよくあります。
自分で作る揚げ物より、惣菜の揚げ物が食べたい時だってあります。
なんのためにご飯を食べるの?
手料理じゃないといけない理由って何でしょうか。
食事は食事です。
生命活動の維持でしかありません。
①
極論、生命活動の維持ができているだけで褒めて良いと思います。
②
ですが、食事が美味しかったり、温かければ、幸せな気持ちになります。
③
栄養がしっかり摂れれば尚更良いです。
もしかしたら②や③までを義務と考えているかもしれませんが、②も③もオプションでしかありません。
美味しさを取ると、栄養が偏りがちになることが多いです。
栄養を考えるだけなら完全栄養食品なんてものもあります。
ここのバランスは人それぞれです。
手料理だったら、温かい気持ちになれて、幸せを感じるというのもわかります。
でも、結局のところ根性論、感情論でしかありません。
まず、どんな方法でもいいから空腹を満たし、落ち着いてから、精神の充足を考えてください。
疲労と空腹なんて最悪のコンボです。
手料理よりも惣菜や外食の方が栄養バランスが良いなんて当たり前にあります。
食事の根本が何かを見直してみてください。
どんな方法でも食って生きている。
そこが一番重要でありがたい事だと私は思います。
ではでは